20年前に来た心に残った土地へ移住しました。

たけくらべ製材所 相原としはるさん

— 今日はよろしくお願いいたします。

まずは自己紹介をお願いします。


相原さん — 1970年生まれで今年で55歳になります。

2021年8月に坂井市に母と一緒に移住して来ました。生まれは西宮市で、スポーツメーカー新卒で入社し、その後東京で自動車整備工場に転職した後、坂井市の丸岡町竹田地区に移住して来ました。


気持ちの良い挨拶をしてくれるのがいつまでの心に残ってました

— ここまで伺った感じでは竹田とは縁がないように感じられますが…


相原さん — 実は20年くらい前に3ヶ月ほど仕事の関係で竹田に住んだことがあるんです。

その時に竹田の雰囲気がすごく気に入りました。当時は竹田小学校、中学校もあり(現ちくちくぼんぼん)、登下校する子供らが気持ちの良い挨拶をしてくれるのがとても印象的でした。

それまで比較的都会と言われる場所に住んでいたので、とても新鮮な体験で、人間関係の良い地域なんだろうと心に残って、一旦東京に帰ったんですが、リタイヤしたらまたここに戻ってきたいとその当時から思っていました。

ちょうどコロナ禍でリモートワークが推奨されるような時期に、その頃二人暮らしをしていた母親が認知症になり、20年前に母親も気に入っていた竹田に移住しようと決意しました。

移住しようと決意したんですが、特につてがあった訳でもなかったので市役所に相談したところ、補助金、仕事の紹介サイト、空き家バンクなどを教えていただき、現在の住まいと仕事を紹介いただきました。

現在は竹田で生活しつつ勤めたいという思いからセルフネンとたけくらべ製材所という会社で働いています。


— ありがとうございます。

現在はどういった活動をされているのでしょうか。

竹田で新しいチャレンジをはじめた


相原さん — セルフネンとたけくらべ製材所はいずれも同じ会社なのですが、たけくらべ製材所は製材した端材を地元のおじいちゃんやおばあちゃんの手を借りながらプロダクトを作るというプロジェクトをもとに2年前に立ち上げました。

なぜこのプロジェクトを始めたかというと、私自身は木材のプロじゃなかったので、製材した後の端材がまだまだ使えるように見えたんです。素人目で見ると端材はバンバン捨てられていてもったいないなと思ったのと、セルフネンの方では営業もしているのですが、市内でも県内でも自分の会社の認知度の低さをなんとかしたいと思っていたのがきっかけです。

でもお金をかけてCMすることは考えていなかったので、地元の高齢者の方々と協力して何かを作ることで興味を持ってもらえるのではないかと考えた。


— ちゃんと地元にお金が落ちる仕組みになっていて良いですね!


相原さん — そうなんです。で、やり始めたら面白くって今はたけくらべ製材所の活動をメインにやっています。福井県は面白い活動に興味を持って知っていただくと色々な方々に繋がり、それこそ端材の加工をきっかけに本業に興味を持っていただき、つながってもらえるという流れがここ2年くらいでようやく出来てきたかなと思っています。


— 本業の方もすごい技術を持った企業さんなので元々有名なのかと思っていました。


相原さん — 確かに技術はすごいんです。植物資源を不燃化する技術を持っているのですが、植物資源というのは木材だけではなく、和紙も不燃化できるんです。

実は芦原温泉駅や将棋の藤井聡太名人が竜王戦を戦った温泉旅館美松の対局室に飾られた越前和紙の不燃加工をしたのも弊社なんです。


— なるほど。すごい技術ですね。たけくらべ製材所の話に戻るのですが、商品開発のプロセスはどんな感じなのでしょうか。

相原さん — 私たちは丸太から製材するのが得意な会社なので、素人ならではの発想で頑張ってます。幸い最近はYouTubeなどもあり、参考にできそうなものもみつけやすいので、2,3人の社員で作ってみて、それをSNSとかハンドメイドネットショップなどで反応を見ています。

なかでも大きかったのは坂井市のふるさと納税の返礼品に選定いただいたことですね。坂井市役所さんの方でふるさと納税の返礼品の中でアウトドアジャンルをより強化したいというご相談を受けて薪を用意させてもらったんです。

この薪が予想以上に好評で、不良在庫みたいな非活性在庫を現金化することができました。

それ以外にも竹田地区で出る竹の間伐材を使ったワークショップにお越しいただいた福井県庁の職員からこのワークショップを育樹祭で出来ないかと相談されて、そこでもワークショップをしました。その後、育樹祭の展示ブースが木で出来ていて、その木を何か別のプロダクトにできないかということでKAPLAブロックみたいな積み木を作りました。

竹田ブランドを確立したい


— すごいですね、どんどん波及して来てますね!

現在竹田地区にも波及して来ているのでしょうか。


相原さん — そこはこれからですね。私たちも最終的にはもっと竹田を巻き込んでいきたいと思っています。

あと一つが竹田ブランドを確立したいと思っています。自然も景観も素晴らしくていい場所じゃないですか。交通アクセスも意外によく、街中から15分で来れるじゃないですか。そんなところで人がよく里山体験ができる。

そう思えるようになったのも移住して4年目になって地元の方々からようやく竹田地区のことで相談事をされるようになってきて、逆に竹田地区には竹田T(=Think)キャンプという学生たちの興味のあることからまちづくりに取り組んでいるインカレサークルとの連携もあることで、上の世代と下の世代が交流できる素地もできて来ています。

竹田の方々が同じように思っていてくれたらですが、竹田の良さと残したい里山を上の世代と下の世代が一緒になって考えて、私のようにこの土地を気に入って移住してくれる人が出てくればとも思っています。


— 相原さんの移住するきっかけになった竹田の魅力はやっぱり人ですか?

移住する際のポイントなどあれば教えてください。


相原さん — そうですね。なんか安心感みたいなところがあって、旅行とかでは味わえないような場と人とのつながりがあるのが魅力でした。

移住のあるあるですが、移住してみたら周囲の住民との距離感が難しくなるケースがよく聞かれます。でもちゃんと事前に体験することで印象が変わると思いますし、不安を払拭できると思います。

その土地土地で例えば、えざらいとか雪かきとか町内会とか色々な行事があって、そういった行事に参加する必要も出てくるし、そちらが日常なわけじゃないですか。

そういったことを体験できるようなプログラムに参加して自分が移住したい土地を知ることが大切なのかと思います。


— ありがとうございました。

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