三国で都会と同じチャレンジができる楽しさを知った
聞き手:まずはプロフィールをおしえてください。
高橋:私は兵庫県の山間部で生まれ育ちました。幼い頃から、都会に憧れを抱いていた典型的な地方出身の若者でした。
福井県には受験を機にきました。当時、自分的には受験に失敗して福井に来た印象があってコンプレックスの塊でした。そんな中で建築が好きだったこともあって建築の勉強ばかりしていました。長期休暇になれば海外の建築を見に行く。海外に行くために生活コストが安いからと渡航費を貯めやすい街くらいにしか思っていませんでした。卒業後は早く東京に出て、かっこいい建築を作るんだと思っていましたから当時はあまり街のことは考えていませんでした。
大学3年生くらいの時に、東京や大阪など都会の学生と比べてインプットが足りないと思い始めました。都会においてデザインや建築の環境がすでに差があり、その環境下にいる学生も切磋琢磨しているからただ海外に行って建築を見るだけじゃダメで今ある環境の中でインプットしなくてはいけないと感じました。
それからは逆にまちのことに興味を持つようになったタイミングでアーバンデザインセンター坂井(以後UDCS)が学生ディレクターを募集していたんです。2018年だったかな?ちょうどUDCSが発足した頃だったんです。
元々アーバンデザインセンターは東京大学の西本研究室の学生が提案して発足された団体で、当時は東京大学の特任研究員の方も常駐していました。
なので、当時は街に興味がある。東京大学のデザインセンターが学生ディレクターを募集している。という2つの動機がきっかけで、UDCSに参加しました。
また同時期に東京R不動産さんがやられているリノベーションスクール、当時のディスカバリー福井が福井市中心市街地の再開発を調査する動きにもあり、それにも参加していました。
デザイン的なインプットに対して敏感になっていた中で、坂井市三国エリアもひっかかってきた感じです。
聞き手:具体的にどのような活動から始まったのでしょうか?
学生時代の大きなチャレンジ
高橋:アーバンデザインセンター坂井の蔵の改修プロジェクトが最初です。当時、予算は取れたけど、どう使うか検討されていた中で、UDCSの裏にある蔵を改修をするタイミングで私が入って感じです。
蔵の改修を主体的に任していただき、大学3,4年生の時期に基本設計や地元工務店さん、住民の方々へのワークショップなどを開催しながら使い方を考えたり、予算が足りなくなったのでクラファンを実施したり、実際にワークショップをしてもらったりなど地元の人たちと交流していました。
聞き手:想像していた以上に学生なのにがっつり関わってますね。
高橋:当時、いわゆるチーフディレクターと言われる役職は特任研究員としてきた人やっていたんですが、僕が4年生になるタイミングでいなくなることが決まっていたんです。なので、ワークショップも3回やる予定だったんですけど、2回目以降は僕が担当してやっていました。
学生なのに深いところまで任せてもらえるということもあり、すごく楽しかったです。
聞き手:他にもUDCSでのプロジェクトはあったのでしょうか。
高橋:ちょうど卒業設計の時期やコロナになり、大学の授業がオンラインになったので、東京でいろいろな事務所にインターンしに行くようになりました。
聞き手:となると、卒業する時期は東京で生活しているわけじゃないですか。東京で生活するか神戸に戻るか、福井に戻るかって選択があるわけですよね。
高橋:そうなんです。そこでまた違う転機がありまして。
東京に行くために福井の家が不要になったんですよね。とはいえ、福井でも研究はやっているので、拠点がないと困るんですね。当時は福井大学院生を辞めるか考えていたんですが、今いる環境から学びとらなければという発想があり、福井市という中途半端な都市にいるより思い切って三国がいいなと思ったんです。
というのも、福井大学在学中に仲間内で建築学生チームを作って活動していたんです。先に出た蔵の設計や中心街のリノベーションなどもそう。このチームではクライアントワーク的なことではなく、自分たちがやりたいことを実装する手段として建築を活用できる環境を考えようと。
一人で済むのが面白くなかったから拠点を作ることに
その時に三国で住むことになったんですが、一人で住むのだと面白くないから色んな人が入って来れるハブのような場所を作って僕らもそこに住むという構図にしたいですと市の方に相談したところ、ちょうど使えそうな予算があるよと言っていただけたんです。
聞き手:そうなんですね。でもなぜ三国だったのでしょうか。UDCSなどの経緯があったにせよ仲間内での拠点に三国を選ばれたのはきっかけとしては弱いような。。。
高橋:やはり人との関係性があったことでしょうか。住民ワークショップをさせていただきいい関係を構築させてもらっていて、自分たちは学生なのでお金もないので、自分たちの箱を作るのも考えづらい中で何か可能性を感じることができたのが三国でした。たとえば、助けてくれる人がいそうだとか、使える物件が見つかりやすいとか。
もちろん過去に設計した蔵が活用されていたこともあります。自分たち主体でまちから得たインプットを表現する意味でもいいと思ったんです。自分たちの帰属意識と表現の発露ができそうな場として三国を選択しました。
聞き手:それが「茶ノ下旅館」のプロジェクトに繋がっていくんですね。
高橋:そうです。紆余曲折あって結果、元旅館を取得するに至り、自分たちの表現する場としてプロジェクトを始めました。その時に補助金の受け皿が必要になり、今の会社も設立しました。
東京に行くために家を移したのに、結局三国が一番大きな拠点になってしまいました笑

聞き手:うまくいかないですね笑。
そこから「湊ノ芸術祭」に繋がっていくんですか?
会場貸しのはずが、芸術祭になった
高橋:ややこしいんですが、実は芸術祭はとある企画に誘われたことから始まりました。
此間(すみか)ノ芸術祭という全国のシェアハウス11ヶ所で開催されている芸術祭の会場の一つとして誘われたのがきっかけです。
元々芸術祭というのが好きで、よく行っていたんですね。
で、会場の一つとして場所を提供するか考えた時に、自分たちは旅館業をやりたかったから三国にいるのではなく、まちからのインプットしてそれをいかに表現する手法としてこの場を作ったので、港町三国と三国湊を入れました。
聞き手:規模が全然変わりましたね笑
高橋:で、「湊ノ芸術祭」にしますと返しちゃったんですね。此間(すみか)ノ芸術祭は建物の名前がつくのが通常で、たとえば参加してほしいと依頼してきたシェアハウスは「このまん間」というので、このまん間芸術祭というふうに。
でもうちだけ会社の共同代表である井上やUDCSのチーフディレクターである田中さんにも相談しつつ湊ノ芸術祭と題して、瀬戸内芸術祭や大地の芸術祭みたいな位置付けにしてしまった笑
なので湊ノ芸術祭をうちわで話している段階でも、三国エリアには同年代の仲間が多く小さなイベントなどを積み重ねていてそういった信頼関係があるので、その人たちはきっと応援してくれて、手伝ってくれるイメージしか湧いてこなかったからっていうのも大きな動機の一つです。
次は芸術祭やろうって言い出したか、みたいな笑
聞き手:すごいですね! 積み重ねの中で共通認識が広がっていく感じですね!
高橋:第1回の時は準備期間3ヶ月で全て自分たちの手出しでやったんです。だから誰の許可もいらない状況だったんですね。その中でもUDCSさんの協力は大きくて、本館と蔵で2会場増え、まちの人とも繋がっているので信頼関係を飛び越して協力を得ることができました。
聞き手:昨年2回目なのに12ヶ所も会場があり、びっくりしました。
高橋:採算度外視しているからってのもあります笑
総予算250万くらいなので。
聞き手:驚異的な金額!すごいですね。その金額だと普通は1日のイベントでも足りないって言われますよ。
高橋:そうなんです。イベンターの人も来られて予算探られるんですが、みなさん驚かれます。
実は縁あってアートフロントギャラリーの方に相談させていただく機会があったんです。
聞き手:やばくないですか、芸術祭運営のトップじゃないですか笑
高橋:そうなんです。でもアートフロントギャラリーが関わっている芸術祭は大規模なので予算額も半端ない、2億とか3億とか。
知ってはいましたが、僕らがやろうとしている規模だとお話にならないなと。
でもその方が「とはいえ予算ではなく、その土地へのリスペクトと情熱があればどこだってできるよ」とおっしゃってくれたんです。
なのでできるだろうと笑
で、意気揚々と帰ってきてアートフロントギャラリーの方が「出来るって言ってた!」と。
聞き手:あいだ、だいぶ端折って報告しましたね笑
髙橋:だからこの芸術祭はみんながすごいんです。手弁当でみんなが主体的に動いてくれて。
聞き手:今2回芸術祭を開催して、何か変化ありましたか。
髙橋:芸術祭を開催した中で、私の中では不動産屋に対して期待感を持って欲しいというのが1つのゴールでした。そこに関しては少しだけ成果を得ることができたのかなと。
正直よそ者の私が、芸術祭を通して10ヶ所の場所を使用させていただいて、そのやり取りの中で場に対しての課題意識や問題点をディスカッションする機会を得流ことで、できるコミュニケーションができるようになった実感があります。
また短期的にもまちに人が賑わう景色を作ることがイベントのいいところだと思っていて、実際に会場になった場所を余らせておくの勿体無いよねとか、茶ノ下旅館に興味を持っていただける方が増えました。
聞き手:なるほどですね。逆に三国域外の方からの反応はどうでしたか?
髙橋:そうですね・・・。
同時期に鯖江で開催されていたさばえ祭りと比較されていたのが驚きました。
鯖江は移住者も多く、すごい実績のあるプレイヤーが行政と連携して開催された素晴らしいイベントで、正直規模が違う中で比較されているのが驚きました。
また、まだ2回目なのですが、地元に定着しつつある祭りとして普通に認識さていたのも嬉しかったです。どこの誰それがやっている祭りではなく、三国の新しい祭りとして認識されたと思ってます。
聞き手:ありがとうございます。最後にこれからどのような活動をしていきたいか教えてください。
髙橋:そうですね、私は設計のお仕事をしているんですけど、会社としてはそうじゃない売り上げを増やしたいです。で、雇用を増やしていきたい。色々な面白いことをやっていきたいので。
聞き手:今日はありがとうございました。